
2011/08/29
あの日からもうすぐ6ヶ月という8月の終わりに気仙沼に行ってきました。
津波という物凄い力に襲われた町や村や家や港や船やありとあらゆる物、さっきまで使っていただろう物が全て破壊され流された後を見てきました。
当たり前ですが、あの日テレビの中継で見た港は一部分でしか無く、こんなにも広範囲に壊滅的な被害が有るというのは想像をはるかに超えていました。
今回は数人の気仙沼をコヨナク愛する人達の取材だったので被災当時の状況や現在の状況を良く見る事ができました。
みんな泣いたり笑ったりしてました。
みんな元気です!
みんな頑張ってます!
僕らも頑張らないと!
頑張ろう東北!
頑張ろう日本!
KWJ

2011/08/02
もうちょっと時間が経ってしまいましたが、アメリカNASAのスペースシャトルが、アトランティスのフライトを最後に、全機、退役しました。
初飛行は1981年4月。コロンビアが2人の飛行士を乗せて、地球軌道を2日間に渡って飛行し、エドワーズ空軍基地に無事帰還。
その後、2011年7月の最後のフライトまで、30年間の間に計135回のフライト任務をこなしました。
そもそも計画当初はスペースシャトル(宇宙往還機)の名が示す通り、高価なメインエンジンと主機体(オービター)を使い回す事により、コストダウンを狙ったのですが、オービターのメインテナンスに莫大な手間とコストが懸かり、コストダウンどころか逆に大幅な予算超過になってしまいました・・・。
さて、スペースシャトルと言えば、コロンビア、チャレンジャー、アトランティス、ディスカバリー、エンデバーの5機だというのは皆さんご存知(えっ!?知らない?)だと思いますが、実はもう1機居たんです。初号機、エンタープライズが。
初号機が完成した際、アメリカ国民の多くから、是非機体名を「エンタープライズ」にして欲しいという署名が届き、NASAもこれを聞き入れ、エンタープライズと名付けられました。
由来は「空母」ではなく、「スタートレック」に出てくる宇宙船です。こう言う所は洒落っ気がありますねぇ、アメリカ人は。
しかし、エンタープライズは一度も宇宙に行く事なく、大気圏内の滑空試験飛行に使われたのみでした・・・。
今までシャトルは数々の功績を残し、ハッブル宇宙望遠鏡やISSの建設資材、そして日本の「きぼう」モジュールもシャトルによって打ち上げられました。
シャトルが就役した事により、打ち上げた衛星の保守、点検作業が可能になり、ハッブル宇宙望遠鏡も幾度も補修作業を受けてます。
そして、何人もの日本人宇宙飛行士も乗り込みました。
しかし、そんな輝かしいシャトルの歴史にも、悲しい事故が有りました・・・。
1986年1月、チャレンジャー号が打ち上げ後に爆発を起こし、乗員全員が帰らぬ人に。
2003年2月、コロンビア号が大気圏再突入後に空中分解。やはり乗員全員が犠牲に・・・。
現存する3機でミッションをやりくりして来ましたが、老朽化と耐用性能、そしてコストの問題で今年7月、全機が退役したのでした。
当面、ISSへの人員輸送はロシアのソユーズが請け負い、物資はロシアのプログレスや日本のこうのとりが請け負う事になっています。
思い起こせば初飛行のコロンビア号。日本上空を通過する際、地上から太陽光の反射で見る事が出来、家の屋上から見上げた思い出が・・・。
一度はケープカナベラルに行って、生で打ち上げを見てみたかった・・・
種子島でも見れてませんが。
毎度、長文で失礼!!
byこ〜じぃ

2011/07/18
皆さん、今日は日本サッカー界において、特別な日になりました!!
女子ワールドカップドイツ大会にて、我がなでしこジャパンが強敵アメリカを破って、見事に初優勝を決めてくれました〓
早朝3:30キックオフではありましたが、しっかり起きて生中継を観戦しました。
序盤はなかなかスウェーデン戦の様な、中盤でボールを奪ってパスで繋ぐサッカーをさせて貰えず、攻め込まれる時間が続き、遂には先制点を奪われ・・・あぁ・・・
しかし、後半になるとアメリカの脚が止まり、日本のパスが通り始め、意地の同点弾!!
流れは日本に傾き始め、果敢に攻めるも時間切れ・・・延長戦突入。
息を吹き返したアメリカに攻められ、勝ち越し弾を許してしまいました・・・
この時、万事休す、あぁ、やはりアメリカは強い、無理か・・・でも準優勝だし、大した物だなぁ・・・と、諦めの心境だったのですが、延長後半14分、土壇場で沢選手の素晴らしい同点ゴールがっ!!
もう、この時点で涙が・・・
勝負の行方はPK戦に。
こればっかりは運だからなぁ・・・と、またも諦めの心境だったのですが、キーパー海掘選手のファインセーブ連発で見事、今まで一度も勝てなかったアメリカを相手に、しかも最高の舞台で破って初優勝を決めてくれましたっ!!
本当に、最後まで決して諦めない選手達の姿に感動しました!!
頑張れなでしこ〓次はオリンピックの頂点だっ!!!!
男子も頑張って欲しいですね!!
我が浦和レッズもね・・・
by こ〜じぃ

2011/07/11
NEW WORLD=新世界
と言う訳で!?おいでませ、新世界!
今まで、仕事で何度も大阪には来た事有ったのですが、ここは初めて来ました。
通天閣のネオンサインが蛍光管からLEDに模様替えする事になり、その前にライトアップされた姿を映像に収めておこう、と言うロケで訪れました。
いやぁ、新世界と通天閣を満喫しました!
勿論、展望台に居るビリケンさんにもお会いし、足の裏撫でてきました!
皆に撫でられ過ぎて、えぐれちゃってましたが・・・
東京タワーと違い、通天閣は塔の真下を道路が走ってて、人や車が行き交っている光景は何か新鮮な感じです!エッフェル塔みたいですな・・・色合いも。
ちなみに皆さん、今の通天閣って二代目だって、知っていましたか?
ワタクシは通天閣に来るまで知りませんでした・・・
今建っている二代目は、昭和31年に完成した物なんです。
設計者は、あの東京タワーの設計を手掛けた、内藤多仲!そう、東京タワーと通天閣は兄弟だったんですね!!
通天閣の方が2年早いからお兄ちゃんか。
さて
初代通天閣はいつ出来たのかと言うと、なんと明治45年の7月(1912年)、大正に変わる直前です!!
明治36年に開催された、内国勧業博覧会(今で言う万博ですね)の跡地に、ルナパークと言う遊園地と共に建設されました。
初代はエッフェル塔と凱旋門を模した(凱旋門の上にエッフェル塔が乗っかった様な・・・)形で造られたそうです。
高さは300尺(91m)と言う触れ込みだったそうですが、実際には250尺(75m)だったそうです。
それでも当時、東洋一の高さを誇っていたそうです!(ちなみに現在の二代目は100m)
大正9年以降には、二代目と同じく、塔側面に巨大なネオン広告があったそうです。
そんな初代通天閣ですが、第二次大戦中の1943年、塔下にあった映画館、大橋座の火災が延焼し、塔脚の強度が脆くなってしまった為、戦時下の資材供出と言う名目で解体されてしまいました・・・
そして戦後、復興の波の中、通天閣を復興のシンボルとして復活させようという大阪の人達の想いによって二代目として現在の形で建設されたのです!
皆さんも一度、通天閣に登ってみては如何ですか?
ちなみに、現在は模様替え工場が始まっているので、ライトアップは見れませんが・・・
by こ〜じぃ

2011/06/30
日本で初めての室内トラック競技場が静岡県修善寺サイクルスポーツセンターの敷地に建設中〜
外観は,ほぼ完成しています 現在,木製走路の製作作業が進んでいます
木のトラスが美しい仕上がりです。日本自転車競技のパワーアップに弾みがついて欲しいものです。今から完成が楽しみですね

2011/05/04
愛車フェラーリを購入してから、2週間程経ちました。
とにかく楽しくて、なにかと乗り回してます。
夢のフェラーリ通勤も早速実行してみました!
家から会社まで、おおよそ35〜36km程なんですが、初めて行った時にはなるべく車通りが無い、裏道を行こうとして逆に迷いまくってしまい、3時間もかかってしまいましたが、3回目にもなると迷わず来れる様になり、1時間40分まで短縮出来る様になりました!
会社の次に行ってみたのが、聖地埼玉スタジアムです!
試合見に行く時、自転車で行くのも野望?の1つでした。そのロケハンも兼ねて。
自宅から小1時間程。
平日だっただけに、人気の無いスタジアムを1周し、記念撮影。前回の写真はこの時に撮った物です。
とまぁ、こんな感じでブラブラ色んな所、走ってます。自宅の近くを荒川自転車道がはしっているのも知り、一度走ってみました。
歩行者も少なく、何より車が居ないのは快適です!
さて、ここまでおおよそ250km程走りましたが、ちょこちょこと手を加えてみました。
まず、LEDリアライトを付けました。今まで反射板は付いてたんですが、夜に他の自転車を後ろから見た時、非常に見えづらい事に気付き、安全を考えて装着。まぁ、目立つし・・・
次に、サイクルコンピュータを付けました。
これは前から欲しいと思ってまして、速度(現在速度、平均、最大)や走行距離、ラップタイム等を表示してくれて、非常に便利な代物です!!
更に、以前はフェラーリエンブレムが入ったライトを付けていたんですが、いつの間にか取付用ボルトが脱落してしまって、外れてしまったので、キャットアイ製の3LEDライトに変えました。
そして、シートポスト裏に、もう1つの赤い魂を込めましたっ!!
この愛車でガンガン走り込んで、ゆくゆくは本格ロードバイクを・・・!!
勿論、真っ赤なフレームで!!!
その日まで、頑張って軽量化を・・・
byこっどじぃ

2011/05/01
未曾有の大震災から約1月半、まだまだ先行きが見えないこんな時期。自分自身も暗い気分が晴れていませんが、こんな時だからこそあえて明るいネタでも一つ。
いつかは欲しいなぁ・・・と、車好きなら必ず憧れるあのフェラーリを、遂に買っちゃいました!
と言っても、勿論車を買える筈も無く、クロスバイク、つまり自転車です!
ず〜っと自転車関係の仕事をしていて、自転車良いなぁ、欲しいなぁ・・・と漠然とは思っていたんです。そんな時、こいつと出会いました!!
もう一目惚れですっ!何に惚れたって、フェラーリエンブレムのヘッドマーク!
\50,000程のプライスタグが付いており、ちょっと手が出ないなぁ・・・と思ってたんですが、ネットで調べた所、\30,000台で有る事が判明。1週間程熟考?した後、購入を決意しました!!
いやぁ、ちゃんと自転車に乗るのって、実に高校生以来かも・・・っていう位ブランクが有りましたが、楽しいっ!!
自分自身の足でペダルをこいで、風を切って走るのがこんなにも気持ち良いんだぁ・・・と、実感しました。
これで、夢のフェラーリ通勤が叶う訳ですね!
・・・片道35km程ありますが
kdz改めこっどじぃ

2011/04/04
NHK の番組の取材で岡本太郎さんを追っかけて都内の他 大阪に行ってきました。
太陽の塔とはほぼ同い年ですが、近くで見た事が今まで無く、まずは大きさに唖然として、これを作った当時の多くの人々のパワーを感じづには要られませんでした。
今回は現在の太陽の塔の中に入る事が出来て、この目で生命の樹を見る事ができました。番組を見て頂ければ…
この番組の取材中とほぼ平行して大震災が起こりました。停電のため電車が遅れてスタッフが集まれなくなりそうになりましたが、何とか予定の撮影を終える事が出来ました。
こんな非常時にこのような美術番組を撮ってる場合なのか?
という疑念を持ちながらの取材でした。岡本太郎の残した多くのメッセージが今のこの悲惨な状況を予言していたのかは分かりませんが、自分の思考を少しだけ変えるキッカケになった様な気がします。
2011.4.10 NHK教育 日曜美術館 岡本太郎 見てください。
KWJ

2011/03/29
前回、出国時の震災の影響について書きましたが、今回は海外での反応について触れてみたいと思います。
こちらでもCNNやBBC、そして地元局で連日、日本の震災に関する報道がされています。
今はリビア情勢がトップニュースになってはいますが、津波による被害の状況、そして何より原発事故の詳細を報道しています。
やはりどこの国でも原発が稼働しているだけに、とても関心が高く、ことさら放射線に関しての情報は繰り返し流れていて、日本の気象情報や風向きまで気にかけています。
報道だけでなく、TVCMでも皆で日本を救おう!と言うスローガンCMまで流れています。
その精神は、スポーツ界にも溢れていました。
今回取材に来た自転車トラック世界選手権大会に於いて、オープニングセレモニーが行われる前に、全員で黙祷が捧げられました。
選手、関係者、そして観客の皆が揃って日本の震災犠牲者へ向けて祈ってくれました。
会場でも、コース上に世界自転車連盟(UCI)からのメッセージが記され、入口には募金箱も置かれていました。
日本の選手たちは皆、腕に喪章を付けて競技に臨んでいました。
選手達の中には、地元が被災地で、実家が全壊してしまった渡邊一成選手もいます。
一時は出場を躊躇ったそうですが、地元の知人たちの後押しも有り、自分がレースに出る事で少しでも皆に勇気や元気を与えられればと言う想いで、出場を決意したそうです。
各国の超一流選手や著名なコーチらも、日本の被災者たちへ向けてメッセージを送ってくれました。
皆、余りにも酷い地震や津波の被害状況をニュースで目の当たりにしていた為、コメントを言ってくれる際、思わず込み上げてきてしまい、声を詰まらせてしまっていました。
お客さんや大会関係者の人達も、日本は今、大変だけど頑張ってね、と声をかけてきてくれます。
日本で思っている以上に、世界の人達は日本の被災状況に心を痛めている様でした。
とにかく、世界の人達の優しい気持が伝わってきました。
皆さん、本当にありがとうございます。
kdz

2011/03/26
こんな時期に心苦しいのですが、オランダに自転車トラック世界選手権の取材に行って来ました。
その際、日本からの出国にもかなりの影響が出ている様なので、報告しておきます。
我々ロケ隊は、先発組と後発組に別れて出発したのですが、先発組が出発した3/18は、日本から出国しようという中国、韓国、台湾等の近隣諸国の人々で溢れ返っていて、成田空港は大混雑だった様です。
カウンター、手荷物検査場、出国審査等どこもかしこも長蛇の列で、機内に入れたのが出発の20分後だったそうです・・・
しかし、後発組が出発した3/21は、もう落ち着きを取り戻していて逆に閑散としていました。
更に、本来は成田空港からオランダのスキポール空港への直行便なのですが、物流混乱の影響で燃料備蓄が不足し、関西国際空港経由になり、出発時間が3時間も早まってしまいました。
それでも、海外航空会社の幾つかが、成田空港乗り入れを中止している中、回り道しながらとは言え、ちゃんと成田から飛んでくれてホッとしました。帰りは不透明ですが・・・
先発組到着時、アムステルダムのスキポール空港では日本から到着した乗客は、放射線検査ゲートを通らされ、手荷物や預け荷物も入念に検査されていた様ですが、我々後発組の到着時は特にありませんでした。
海外も少しは冷静さを取り戻して来ている様ですね。
kdz